2021年9月12日に日本初の女子プロサッカー
リーグであるWEリーグか開幕します。
その初代チェアを務めるのが岡島喜久子氏です。
今回は、岡島氏の出身高校や大学などの経歴と
夫やお子さんなど家族構成など気になりそうな点
について紹介してみようと思います。
岡島喜久子氏のプロフィール
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(出典元:Instagramより)
初代WEリーグの初代チェアに就任する
岡島喜久子氏のプロフィールを以下に
紹介ます。
氏名 | 岡島喜久子 |
生年月日 | 1955年5月5日 |
出身地 | 東京都 (1991年から今日までアメリカ・メリーランド州在住) |
最終学歴 | 早稲田大学商学部 |
彼女の出身高校などについて
調べてみましたが、検索される
事はありませんでした。
引き続き判明しましたら追記したい
と思います。
大学2年の時、ウェスリアン大学に留学して
スポーツ医学やコーチング学を学んだようです。
この時に、スポーツ関係の仕事に進もうと
考えていたのかもしれませんね。
彼女がサッカーを始めたのが中学2年の
時に男子サッカー部に入部した事でしょうか
その後、FCジンナンに入会したそうです。
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FCジンナンは、1972年に誕生した日本初の女子サッカークラブ
名前の由来は渋谷の神南
東京都の強豪リーグで多くの代表選手を
輩出しました。
1986年に日産自動車をスポンサーに
日産FCレディースへ発展しました。
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岡島喜久子氏の経歴
岡島喜久子氏は、日本女子サッカーリーグの
初代チェアに就任するように、今はサッカーを
中心の仕事をしているようです。
大学卒業後は、サッカー以外の
仕事をしていたようです。
職歴
・1983年 ケミカルバンク(現JPモルガン・チェース銀行)東京視点
・1988年 国際証券(三菱UFJモルガン・スタンレー証券)
・1990年 コクサイシンガポールマーチャントバンク(シンガポール)
・1991年 First National Bank of Maryland(米国)
・2004年〜2019年 メリルリンチ(米国)
(出典:一般社団法人日本女子プロサッカーリーグより)
大学卒業後は、金融関係の仕事につき、主に
海外をメインにビジネスをしていたようです。
サッカー歴
・1972年 中学2年の時に中学校の男子サッカー部に入部
・1978年 FCジオンが国際大会(第2回AFC女子選手権」に参加
・1979年 日本女子サッカー連盟設立と同時に初代理事メンバーに就任
・1983年 日本女子代表チームの選手として広州国際大会に登録
・1984年 日本女子サッカー連盟事務局長に就任
(日本女子代表チームのメンバー(主務)に西安招待国際女子大会に登録)
・1989年 海外転勤を機に引退
引退を引退するまでは、国内で金融の仕事と
サッカーの仕事と両立してのではないかと思います。
1991年にアメリカ人の方と結婚したのを
きっかけにアメリカに活動の拠点を移したそうです。
その時の活動拠点は、メリーランド州のボルティモアで
国際金融の経験を幅広くひろげたのではないでしょうか。
岡島喜久子の夫(旦那)や子供など家族構成
岡島喜久子氏は、前述のように1991年に
アメリカ人の方と結婚して海外在住に
なりました。
お子さんは、長男長女がいらっしゃって
総勢4人家族でいらっしゃいます。
初代チェアに就任したとなりますと
単身での仕事になるのでしょうか。
2021年現在、コロナ禍でありますから
日本と米国の行き来が難しくなっていますよね。
もし単身であるのであれな、若干
寂しさを感じる時もあるのではないでしょうか。
まとめ
日本女性サッカーリーグの初代チェアに
就任する岡島喜久子氏を紹介しました。
大学卒業と同時に金融関係の仕事を
する傍らサッカー選手や理事など
多方面で活躍していました。
家族構成については、アメリカ人の
旦那さんとお子さんが2人(長男長女)
がいらっしゃいます。
彼女は日本女子サッカーの基礎を
築いてきた人物でもあります。
WEリーグ発足で女子サッカー界に
新たな新風を巻き起こせるか?
期待されているのではないでしょうか?
今後の彼女の活躍にも注目して
いきたいですね。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。